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定年退職をしても変わらない存在の監督さんの画像

定年退職をしても変わらない存在の監督さん

高校の時の部活の監督さんはとにかく厳しかったのですが、それでも嫌いにならなかったのは愛情を感じていたから、高校を卒業する時には笑顔で別れましたが、監督さんが定年退職をすると聞いた時には元部員が集まり泣きました。 卒業しても母校のことや監督さんのことはネットで調べることが出来、ベンチに座る監督さんの映像を見られるだけでも嬉しかったのですが、定年退職をすると地元を離れた私では監督さんのことを知る術は元部員から教えてもらうしかありません。 定年退職をした監督さんが入院をしたと聞いたのは昨年の秋、すぐにでもお見舞いに伺いたかったのですが仕事で行けない、地元に残った元部員も忙しいのは同じ、20数名いる元部員でお見舞いに行けたのは7人だけでした。その7人にお見舞を託すと、後日監督さんから「心配掛けてスマナイ」と電話があったのですが、私が知っている監督さんと違い受話器から聞こえる声はカスレ弱々しく感じました。 元部員の願いが通じたのか年内に監督さんは退院、冬休みには皆で監督さんのところに顔を出そうと話し合っていた矢先に送られて来たのが快気祝いのギフトでした。 監督さんが退院してから快気祝いのギフトが届くまで1週間も経っていない、監督さんは足腰が弱っており歩いて買い物には行けないはず、スマホなどネットは使えない、どうやって快気祝いのギフトを買って送ったのかが気になり、監督さんのお子さんに電話をすると、退院したその日に足を引きずりながら1人出かけたとのこと。 快気祝いはお見舞いに対しての感謝を意味するものらしいのですが、監督さんから快気祝いを頂いた私達元部員は戦う雄姿を見せ付けられた思いになりました。

元気だったはずの父親から突然届いた快気祝いの画像

元気だったはずの父親から突然届いた快気祝い

父親から突然届いた快気祝い、父親が入院していたことを私が知ったのはその時が初めて。送られてきた快気祝いの包装紙は故郷にある店のもの、その店は私が幼かった時に父親に連れられ何度も行ったことがあるため、快気祝いの中身より包装紙のほうが気になりました。 父親がその店を訪れるのは人に贈るギフトを買うため、店の人は良かれと思い父親に色々とギフトを勧めるのですが、父親は全く耳を傾けず、父親が選ぶのは毎年同じもの。 私は意地っ張りな父親が苦手、その気持ちを分かってくれているのが母親、母親は私に優しくしてくれるのですが、それを見て父親は母親に「甘やかすな」と怒鳴る、私のことで母親が責められるのが辛く私は故郷を離れました。 父親から送られてきた快気祝いの差出人は父親の名前、それを書いたのは父親本人、字を見る限り衰えてはいなそう、私が連絡をすればかえって体調を悪化させてしまいそうなため、連絡をしないでいると父親の会社を引き継いだ弟から「兄さん帰って来られない」と電話がありました。 もしかして父親の体調は悪いのでは?そう思った私はその日のうちに帰郷、出迎えてくれたのは母親と弟だけ。 間に合わなかったかと落胆しながら父親の部屋の襖を開けると、父親はベッドの上でお酒を飲んでいました。 父親、「お前、俺が送った快気祝い、中身を確認していないだろ?」 翌日アパートに戻り父親から送られた快気祝いの中を確認すると、私が学生の時に使っていた教科書が入っていました。 それからは年に2度は必ず帰省、その際は父親の好物を買って行くのですが、たまには父親の苦手なものも持って行き、現在は良好な親子関係でいます。

実の父親に送るのを躊躇った快気祝いの画像

実の父親に送るのを躊躇った快気祝い

今度は真面目になろうと思い故郷を離れ、学歴のない私を拾ってくれたのが今も働かせてもらっている会社の社長。 ヤンチャな生活にピリオドを打てたのは、ケンカによる怪我で一時危篤状態に陥ったから、目を醒ました私が最初に見たのは社長、出会って半年も経っていないのに社長は目に涙を浮かべていました。 社員が怪我を負ったことも、怪我を負わせた社員を持ったことも、全ての責任は自分にあると言った社長、その言葉を最後にヤンチャをすることはなくなりました。 退院する日が決まると社長は、「見舞いに来てくれた人に快気祝いを贈らないとな」、子供だった私は退院する私がなぜ祝う必要があるのか分からない、その時に初めてお見舞いに来てくれた人に怪我が治ったことの報告をすることが快気祝いであることを知ったのです。 学歴のない私は知らないことばかりなのですが、社長は一から教えてくれる、そして分かるまで教えてくれる、私にとって社長は親父のような存在に。 危篤状態にあった私のところに見舞いに来てくれた人のリストを見て驚いたのは、実の親父の名前があったから。思い出せば見舞いに頂いた品の中に故郷の名物があった、それを見た時はてっきり社長が買ってきてくれたと勘違い。 社長に連れられ店に行くと快気祝い用と書かれたギフトがずらり、社長は「どれにする?」と聞いてきたのですが、どれを選んで良いのか分からない。同僚に送る快気祝いは決まったのですが、実の父親に送る快気祝いは照れ臭くて決められないでいると、社長は「大事なのは気持ちだぞ」。 私が実の父親に生まれて初めて送ったギフトは手紙、手紙にはただ一言「今度の休みに帰ります」。

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